南ア撃破のラグビー小野晃征が現役引退!家族と共に選ぶセカンドキャリアは?

スポーツ

どうもSeijiです。

朝晩が涼しくなってきました。秋ですね。

秋と言えばスポーツの秋です。

これから冬にかけてのスポーツと言えば、ラグビー
その一つです。

そんなラグビーのニュースで寂しいニュースが流れて
います。

2015年RWCイングランド大会での南アフリカ撃破
戦士の一人、小野晃征選手引退を発表しました。

今季から、ラグビー新リーグ【リーグワン】が開始する
前に非常に残念です。

ラグビー界からも沢山の慰労の声が出ています。

https://twitter.com/ryoto1010/status/1440927333699895300?s=20

そんな小野晃征選手の記事を今回は書きたいと思います。

スポンサードリンク

小野晃征選手のプロフィール

ラグビー宗像サニックスSO小野晃征が先発 27日、三菱重工相模原と地元 ...
引用:西日本スポーツ
小野 晃征(おの こうせい)ニックネーム コス

生年月日     1987年4月17日

出身地      愛知県名古屋市

出身校      クライストチャーチ高校

所属       宗像サニックスブルース

ポジション    SO(スタンドオフ)

身長/体重     171cm/82kg

主な経歴     クライストチャーチボーイズ高校→カンタベリー大学
→サニックス、サントリー

日本代表キャップ 34 ※2015年ワールドカップ日本代表

1歳の時に家族でニュージーランド・クライストチャーチに移住
しますが、2歳の時に半年間は妹の出産の為に一時帰国します。
海外生活が長いので、日本語より英語を得意とします。

現地で幼少期よりラグビーを始め、高校時にはU-19ニュージーランド代表
候補にも選ばれています

高校卒業後の2007年19歳の時に、日本代表スコッド入りし秩父宮ラグビー
場での韓国とのテストマッチが日本での初めての試合となります。

同年福岡サニックスブルースに入団し、同年ジャパンラグビートップリーグ
第1節のコカ・コーラウエストレッドスパークス戦に先発出場します。

まさに逆輸入選手の先駆けです。

2007年RWC最終メンバーに選ばれ、初戦のオーストラリア戦に出場し、
PGを決めました。

2012年にサントリーサンゴリアスに移籍します。日本代表になる為の近道
当時のサニックス監督の藤井雄一郎さんに背中を押されました

2014年には、ニュージーランド人の女性と結婚し、現在は子ども二人家族4人
で暮らしています

2015年にも2大会ぶりRWC最終メンバーに選ばれ、スコット
ランド戦以外は先発出場し活躍しました。

2020年に宗像サニックスブルースに加入。

2021年に現役を引退。

日本でのラグビー生活の中で、11-12年、12-13年、16-17年
にはベストフィフティーンに選ばれ、16-17年には得点王にも
なりました。

小柄ながらでも、二か国語を使い分けた的確な指示、プレーを
先読みした頭脳的なラグビー、外国人選手にも果敢にタックル
をする姿勢など評価が高かったです。

小野晃征はなぜ、日本代表入りを辞退したか。セカンドキャリアの重要性 ...
自分より30センチ以上大きなヴィクター・マットフィールドに刺さった。
(写真:ロイター/アフロ)

ラガーマンが故の怪我にも悩まされ、肩の手術も行っていて度重なる
試合の疲労は蓄積し、代表を辞退する事も有りました。

スポンサードリンク

家族と選ぶセカンドキャリア

2015年のRWCイングランド大会では、全試合中(4試合)3試合
先発出場し、日本代表を牽引してきました。

2016年まで日本代表32キャップを獲得し、永年国際試合という
また普段とは違った精神状態で戦ってきました。

国際試合は、身体衝突にかかる負荷や精神的重圧は、国内の試合と
は段違いであり、いざグラウンドに立てば大男にもタックルを行く
小野晃征選手ですから、その場に立つかどうかは慎重に考えなければ
なりません。

首や肩にメスを入れているだけに、小野選手の中では葛藤も有りました。
応援しているファンにしてみれば、トップリーグには出場しているのにと
思うかもしれませんが、あの小さい身体で国際試合を戦うのはと思います。

2015年以降は日本代表やサンウルブスとも距離を置き、身体にメンテ
ナンスに加え引退後の事も頭の中をよぎっていたと思います。

小野選手プロ契約ですから、選手生命が終われば仕事を失います

2019年RWC日本大会時は32歳を迎えていましたが、代表を諦めた訳
ではないが、他に考える事もあったんでしょう。

小野選手が育ったニュージーランドでは同国協会が代表選手の立場を
保全しますが、日本では各所属先企業が選手の生活を支えています。

引退後は社業に専念する選手が大半で、日本はラグビーを守ってきました。

日本ラグーも変わってはきましたが、プロ契約の選手が増えつつある中
今後の選手の支え方は課題です。

その中で小野選手は、別の領域で自分の人生を考えていました。

あの身体で、これからの選手生活を続けるには自分でコントロール
しなければと思ったんでしょう。

小野選手の談話です。

新シーズンもプレーするつもりだった。
家族とともに宗像でオフを過ごす予定だったが、コロナ禍の状況もあり、ニュージーランド(以下、NZ)で過ごすことにする。
そこでもう一度考えた。そして、家族とともにあらためて判断する。
「(ケガの不安で)自分がピッチに立っている姿が見えてこなかった」 納得できる貢献ができない。そう思って決断した。
「プロとして(生活するための)お金も大事だけどそれ以上に、
自分がピッチに立つときは、自分が納得できる状態でないといけないと考えてきました。なので、ケガのことも踏まえ、決めました。
サニックスも新しいチームを作ろうとしている。
ピッチに立てなかったら迷惑をかけてしまう」
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/ac0827a2e8f53c6a0628dedb
3d8c1f70acbe9341

引退後の事を誰かに考えてもらうのではなく、自分で考える。その姿を
未来のラガーマンに見せれたと思います。ラグビー人生より長いその後
の人生の生き方を!

国際舞台で身を削る仲間に敬意を表しながら、これからは自己投資に
時間を割いていくのでしょう。

彼のジャー人に対する思いは、

チームのジャージィは、自分だけのものじゃない。ただ、そのジャー
ジィの意味やプライドは、自分で変えられる。自分が入ってきた時よりいい状態にして、
次に繋げたい
引用:https://news.yahoo.co.jp/byline/mukaifumiya/20171019-
00077103

以前インタビューで引退後は、ニュージーランドで過ごすとありましたが、
今回の引退で早くも家族と共に、拠点をニュージーランドに移している
しいです。

これからは、大手マネージメント会社で選手たちの人生のサポートする側
に回ります。

何よりも彼の思いは、毎日皆で集まれるという事に感謝し、今ラグビーが
出来る事を幸せにラグビーをやって貰いたいと願っている
そうです。

ラグビー大国で、ラグビーに出会った小野選手らしいです。

スポンサードリンク

まとめ

今回は、この度現役を引退すると発表した小野晃征選手について

  • 小野晃征選手のプロフィール
  • 家族と選ぶセカンドキャリア

書きました。

小野選手の考え方を参考にしながら、私も若い未来ある選手の
指導に尽力します。

小野選手ありがとうございました。

それでは、今回もお付き合い有難うございました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポーツラグビー
seijiTMGをフォローする
Seijiのメディア山脈アドベンチャー

コメント

タイトルとURLをコピーしました