どうもSeijiです。
朝晩が涼しくなってきました。秋ですね。
秋と言えばスポーツの秋です。
これから冬にかけてのスポーツと言えば、ラグビーも
その一つです。
そんなラグビーのニュースで寂しいニュースが流れて
います。
2015年RWCイングランド大会での南アフリカ撃破の
戦士の一人、小野晃征選手が引退を発表しました。
今季から、ラグビー新リーグ【リーグワン】が開始する
前に非常に残念です。
ラグビー界からも沢山の慰労の声が出ています。
とりあえずみんなコスのことアップしてるから、あげよ。
お疲れ #小野晃征
偉大なラガーマン。
早く酒を取りに来い。#sungoliath#littleboss@k_hatakeyama33 pic.twitter.com/Q4OQHE6I74— ラグビー まかべしんや (@makaberian) September 23, 2021
そんな小野晃征選手の記事を今回は書きたいと思います。
小野晃征選手のプロフィール
引用:西日本スポーツ
小野 晃征(おの こうせい)ニックネーム コス
生年月日 1987年4月17日
出身地 愛知県名古屋市
出身校 クライストチャーチ高校
所属 宗像サニックスブルース
ポジション SO(スタンドオフ)
身長/体重 171cm/82kg
主な経歴 クライストチャーチボーイズ高校→カンタベリー大学
→サニックス、サントリー
日本代表キャップ 34 ※2015年ワールドカップ日本代表
1歳の時に家族でニュージーランド・クライストチャーチに移住
しますが、2歳の時に半年間は妹の出産の為に一時帰国します。
海外生活が長いので、日本語より英語を得意とします。
現地で幼少期よりラグビーを始め、高校時にはU-19ニュージーランド代表
候補にも選ばれています。
高校卒業後の2007年19歳の時に、日本代表スコッド入りし秩父宮ラグビー
場での韓国とのテストマッチが日本での初めての試合となります。
同年福岡サニックスブルースに入団し、同年ジャパンラグビートップリーグ
第1節のコカ・コーラウエストレッドスパークス戦に先発出場します。
まさに逆輸入選手の先駆けです。
2007年RWC最終メンバーに選ばれ、初戦のオーストラリア戦に出場し、
PGを決めました。
2012年にサントリーサンゴリアスに移籍します。日本代表になる為の近道と
当時のサニックス監督の藤井雄一郎さんに背中を押されました。
2014年には、ニュージーランド人の女性と結婚し、現在は子ども二人家族4人
で暮らしています。
小野晃征、笑顔で引退。「スパイクを脱いでも続く関係がたくさんある」https://t.co/tVmFhP2dtR#小野晃征 #引退 #新しい人生 #宗像サニックスブルース #東京サンゴリアス #ラグビー日本代表 pic.twitter.com/J8gePj4r0g
— ラグビーリパブリック|RUGBY REPUBLIC (@RUGBY_REPUBLIC) September 25, 2021
2015年にも2大会ぶりにRWC最終メンバーに選ばれ、スコット
ランド戦以外は先発出場し活躍しました。
2020年に宗像サニックスブルースに加入。
2021年に現役を引退。
日本でのラグビー生活の中で、11-12年、12-13年、16-17年
にはベストフィフティーンに選ばれ、16-17年には得点王にも
なりました。
小柄ながらでも、二か国語を使い分けた的確な指示、プレーを
先読みした頭脳的なラグビー、外国人選手にも果敢にタックル
をする姿勢など評価が高かったです。
自分より30センチ以上大きなヴィクター・マットフィールドに刺さった。
(写真:ロイター/アフロ)
ラガーマンが故の怪我にも悩まされ、肩の手術も行っていて度重なる
試合の疲労は蓄積し、代表を辞退する事も有りました。
家族と選ぶセカンドキャリア
2015年のRWCイングランド大会では、全試合中(4試合)3試合に
先発出場し、日本代表を牽引してきました。
#小野晃征 引退。寂しい。写真とかないしなぁと。が、いま、偶然発見!#RWC2015 のリーダーズのミーティング。Kosが「Spontaneousにいこう!」と提案をしてくれて「自主性」というキーワードを2015年の目標にした。「自分たちで、自分たちのためのラグビー」って。ありがとう!歴史が変わったね。 pic.twitter.com/e7rvDQ1XBD
— Dr.Kaori Araki 荒木香織 (@arakikaori) September 27, 2021
2016年まで日本代表32キャップを獲得し、永年国際試合という
また普段とは違った精神状態で戦ってきました。
国際試合は、身体衝突にかかる負荷や精神的重圧は、国内の試合と
は段違いであり、いざグラウンドに立てば大男にもタックルを行く
小野晃征選手ですから、その場に立つかどうかは慎重に考えなければ
なりません。
首や肩にメスを入れているだけに、小野選手の中では葛藤も有りました。
応援しているファンにしてみれば、トップリーグには出場しているのにと
思うかもしれませんが、あの小さい身体で国際試合を戦うのはと思います。
2015年以降は日本代表やサンウルブスとも距離を置き、身体にメンテ
ナンスに加え引退後の事も頭の中をよぎっていたと思います。
小野選手はプロ契約ですから、選手生命が終われば仕事を失います。
2019年RWC日本大会時は32歳を迎えていましたが、代表を諦めた訳
ではないが、他に考える事もあったんでしょう。
小野選手が育ったニュージーランドでは同国協会が代表選手の立場を
保全しますが、日本では各所属先企業が選手の生活を支えています。
引退後は社業に専念する選手が大半で、日本はラグビーを守ってきました。
日本ラグーも変わってはきましたが、プロ契約の選手が増えつつある中
今後の選手の支え方は課題です。
その中で小野選手は、別の領域で自分の人生を考えていました。
あの身体で、これからの選手生活を続けるには自分でコントロール
しなければと思ったんでしょう。
小野選手の談話です。
新シーズンもプレーするつもりだった。
家族とともに宗像でオフを過ごす予定だったが、コロナ禍の状況もあり、ニュージーランド(以下、NZ)で過ごすことにする。
そこでもう一度考えた。そして、家族とともにあらためて判断する。
「(ケガの不安で)自分がピッチに立っている姿が見えてこなかった」 納得できる貢献ができない。そう思って決断した。
「プロとして(生活するための)お金も大事だけどそれ以上に、
自分がピッチに立つときは、自分が納得できる状態でないといけないと考えてきました。なので、ケガのことも踏まえ、決めました。
サニックスも新しいチームを作ろうとしている。
ピッチに立てなかったら迷惑をかけてしまう」
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/ac0827a2e8f53c6a0628dedb
3d8c1f70acbe9341
引退後の事を誰かに考えてもらうのではなく、自分で考える。その姿を
未来のラガーマンに見せれたと思います。ラグビー人生より長いその後
の人生の生き方を!
国際舞台で身を削る仲間に敬意を表しながら、これからは自己投資に
時間を割いていくのでしょう。
彼のジャー人に対する思いは、
チームのジャージィは、自分だけのものじゃない。ただ、そのジャー
ジィの意味やプライドは、自分で変えられる。自分が入ってきた時よりいい状態にして、
次に繋げたい」
引用:https://news.yahoo.co.jp/byline/mukaifumiya/20171019-
00077103
以前インタビューで引退後は、ニュージーランドで過ごすとありましたが、
今回の引退で早くも家族と共に、拠点をニュージーランドに移しているら
しいです。
これからは、大手マネージメント会社で選手たちの人生のサポートする側
に回ります。
何よりも彼の思いは、毎日皆で集まれるという事に感謝し、今ラグビーが
出来る事を幸せにラグビーをやって貰いたいと願っているそうです。
《現役引退》南ア撃破の“10番”小野晃征が次世代SOに期待する2つのこと「僕が意識していたのは『人を知る』ことです」(大友信彦)#ラグビー #rugbyjp #小野晃征 #munakatasanixblues #サンゴリアス #エディー・ジョーンズ https://t.co/f51TarGPlR
— Number編集部 (@numberweb) September 28, 2021
ラグビー大国で、ラグビーに出会った小野選手らしいです。
まとめ
今回は、この度現役を引退すると発表した小野晃征選手について
- 小野晃征選手のプロフィール
- 家族と選ぶセカンドキャリア
書きました。
小野選手の考え方を参考にしながら、私も若い未来ある選手の
指導に尽力します。
小野選手ありがとうございました。
それでは、今回もお付き合い有難うございました。
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