どうもSeijiです。
9月11日(土)に俳優で元プロボクサーで浪速の
ロッキーこと赤井英和の長男英五郎がプロデビュー
しました。
周囲の期待に応えるべく、英五郎さん本人も自信
ありげにKOを狙いに行くと気持ちを持っていました。
しかし、序盤から相手のパンチを貰い、リズムに
乗れずにTKO負けとなりました。
父親の赤井英和さんは、
「自分のいいところを出してほしいと思っていたの
で残念。英五郎はファイターなので、頭を振って外
して打てばいいと思ったけど、練習し直します」
引用:https://boxingnews.jp/news/85737/
と取材に応じています。
今回は、なぜ初陣を飾れなかったか彼のボクシング
以外の経歴から私なりに考察したいと思います。
赤井英五郎のプロフィール
引用:帝拳ジム公式サイト
赤井 英五郎(あかい えいごろう)
生年月日 1994年9月22日
出身地 東京
身長 179㎝
体重 74㎏
階級 ミドル級
アマチュア戦績 14戦8勝6敗
アマチュアでは、東京オリンピックを目指していた
といいます。
アマチュアデビューが2015年9月今から6年前ですで
に東京オリンピックが決定していたという事もあり、
自然と目指すようになっていました。
デビュー戦と2戦目を勝利で納め、そのままの勢いで
「全日本アマチュア選手権」に出場しました。
この大会ではベスト8まで勝ち進みました。
そして、その後の「全日本社会人選手権」にミドル級で
出場し、1回戦から3戦連続でKO勝ちし圧倒的な力を見せ
つけ大会初優勝します。
このまま東京オリンピックかと思われましたが、オリン
ピック選考会の大会前にアキレス腱断裂の怪我で思うよ
うな状態で試合に臨めないものの、
1回戦では圧倒的に攻めて1ラウンド1分過ぎに、相手
選手を棄権に追い込み、勝利します。
しかしその勢いは通じず、次戦の準々決勝で相手選手に
何もさせて貰えずに負けてしまいます。
この結果により、東京オリンピックの夢は立たれます。
引用:https://www.iza.ne.jp/article/20150913-DXKGL3LD3ZP2FGLIIABHLLHZQI/
赤井英五郎のプロ初戦は?
引用:日刊スポーツ
9月11日(土)に赤井英五郎(帝拳ジム所属)は、後楽園
ホールにてプロデビューに挑みました。
東日本新人王ミドル級4回戦で岡村弥徳(八王子中谷所属)
に、1ラウンド2分24秒でTKO負けしました。
岡村選手は赤井選手よりも4㎝長身で、スタートからその
長い腕でコンビネーションを打ち込み、上から打ち下ろす
様な右を貰った赤井選手はいきなり劣勢に、
続けざまの左フックが決まり、完全に足が止まった赤井選手
でしたが、何とかパンチを繰り出そうとしたが最後は、岡村
選手のラッシュがさく裂し、主審が試合を止めました。
引用:http://8box.blog.shinobi.jp/Entry/3595/
試合後の赤井選手のコメントです。
「もらいすぎだと思います。ガードを意識していたけど棒立ち
になってしまった。そこからオフェンスにつなげないといけな
いのに、守りのことばかり考えてしまったかなと思う。もっと
前に出てどんどん手を出していけばよかった」
「すぎたことは仕方ないので、コーチと話し合いながらもう一
度がんばりたいと思う」
引用:https://boxingnews.jp/news/85737/
会見では気丈に振る舞っていたようで、今後に向けて
前向きに答えて言いたそうです。
写真を見る限りではバッキバキに仕上がっているように
見えますが、やはりこの階級は人口が少なそうですが、
その分強豪がそろっているようです。
過去には、世界を制した竹原慎二、ロンドンオリンピック
を制して現WBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太選手
がいます。
二人ともに180㎝は超えていて、背が高いですので、背が高い分
腕も長いのかな。
年齢的に遅くデビューしましたが、最近の選手寿命は長く
なっていますから、何時の日か父親を超えて赤井英五郎の
名前が父親よりも有名になって欲しいですね。
過去のスポーツがボクシングに影響しているのか?
赤井英五郎さんは、ボクシングを始めたのは先に書きました
通り、デビューしたのが6年前の2015年なので、その前の年の
2014年に始めたそうです。
アマチュアからスタートしました。
小さい時は、父親が有名過ぎて同じスポーツをするのが嫌
だったんでしょう。そりゃ必ず比べられますもんね。
その状態を我慢出来る人は余程のメンタルだと思います。
なので、小さい時はラグビーに夢中になっていたみたいです。
9歳頃から始めたそうで、
その後12歳でハワイに留学し、バスケボールやアメリカン
フットボールに移行し、将来を有望視されます。
9歳から20歳迄の11年間赤井選手は球技をしていたという事
になります。
ハワイ留学後も中学時代はラグビーに専念していたらしいです。
6年間のラグビーと5年間のバスケとアメフトになりますね。
多分ハワイではどちらかというとアメフトに力を入れていて
将来を有望視されていたと思います。
そりゃ~、父親譲りの馬力でプレースタイルも凄かったと思います。
でも今回はボクシングです。今回の敗戦の理由の一つに、デフェンス
の甘さがあるといいます。手が下がるんでしょうか?
という事は、ラグビーやアメフトやバスケは球技ですので、ボールを
抱え込む様に持ちます。
胴体の周りに持つように思えます。現にラグビーでは抱え込むように
持ったり、脇のあたりにしっかりボールを押さえつけて走ったりします。
ボディーを守っているように見えますね。
アメフトなんかはセットの時は手をついて始まりますもんね。
この時の、体の習慣が染みついて手が下がり気味になるんでしょうか?
中々顔の前で手を構える様な事はしませんもんね。視界が狭かったら
周りの状況が見えませんから、挙げても顔から離して構えますね。
それに、やはり肉弾戦に慣れ過ぎて体が丈夫と思っている節が、ある
のかも知れませんね。
ラグビーもアメフトもバスケも細かいスキルが必要と思いますけど
やはりボクシングはそれ以上にスキルが必要なんでしょう。
拳だけで相手を倒さなければなりませんから、しかもあの広さの
リングで、赤井選手が今までしてきたコートの広さに比べたらか
なりの狭さです。
逃げ場もないですし、相手に向かうのみですよね。
これからはとにかく、体が覚える迄ガードの高さを意識して貰い
いかに相手のパンチを交わす練習あるのみですね。
まとめ
今回は、赤井英五郎選手がプロ初デビューをし、残念ながら負け
ましたという記事を見ましたので、
- 赤井英五郎のプロフィール
- 赤井英五郎のプロ初戦は?
- 過去のスポーツがボクシングに影響しているのか?
について書きました。
まだまだ初戦ですのでもっと練習して貰い今後の赤井英五郎の
活躍に期待したいと思います。
私の考察なんかは、私が勝手に思っているのでどうか皆様気に
しないで下さい。
それでは今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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